ジダニ・モスト - シェンティイ線
ジダニ・モスト - シェンティリ線 | |
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基本情報 | |
国 | スロベニア |
起点 | ジダニ・モスト(スロベニア語版) |
終点 | シェンティリ |
路線記号 | 30 |
開業 | 1846年 |
運営者 | スロベニア鉄道 |
路線諸元 | |
路線距離 | 108.4 km |
軌間 | 1,435 mm |
線路数 | 単線、複線 |
複線区間 | 国境 - マリボル区間は除く |
電化方式 | 直流 3,000 V |
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ジダニ・モスト - シェンティリ線 (スロベニア語: Železniška proga Zidani Most - Šentilj) はスロベニア共和国のジダニ・モスト(スロベニア語版)とシェンティリを結ぶ路線である。シェンティリ駅(スロベニア語版)からオーストリアとの国境を越えるとシュピールフェルト・シュトラス駅(ドイツ語版)があり、ウィーン方面に直通する。汎ヨーロッパ回廊の10号線A支線(グラーツ - マリボル - ザグレブ)の一部を形成する。
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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凡例
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歴史
オーストリア帝国時代の1846年6月2日にウィーン・グロッグニッツ鉄道会社(ドイツ語: Wien-Gloggnitzer Eisenbahn Gesellschaft)によって建設されたオーストリア南部鉄道の一部としてグラーツ - シェンティリ - ツェリェ間が開業したのが始まりである。1843年7月にグラーツ - ツィリ(現在ツェリェ)間の鉄道建設が許可されて、二つの路線経路の中、現在の経路が採択された。当時に鉄道の所有権は南部帝国鉄道(k.k. südliche Staatsbahn)にあり、ウィーン・グロッグニッツ鉄道会社は運営を担当した[1]。1849年8月18日にはツェリェ - ジダニ・モスト(スロベニア語版) - リュブリャナ間が開業した[2]。その区間の工事は1848年革命の影響で遅延されていた[3]。1854年ゼメリング区間の開通で、ウィーンとライバッハの間に列車運行が可能となった。
1917年7月10日プラーガーホーフ駅(現在プラゲルスコ駅)で貨車に積載された機雷が爆発する事故が発生した。その爆発は並んでいた線路では軍人輸送列車と装甲列車に影響して、装甲車の爆薬ピクリン酸も爆発した。この事故で43人が死亡し75人が負傷を負って、駅区内の8線複線線路は420 m長さで破壊された[4]。
第一次世界大戦後、スロベニアはユーゴスラビア王国の一部となり、シェンティリ駅がユーゴスラビアとオーストリアとの国境駅となった。
第二次世界大戦後は社会主義路線を取るユーゴスラビア連邦人民共和国の成立と冷戦の影響でオーストリアとイタリアを結ぶ列車は主にタルヴィージオ経由の路線を使用するようになった。1991年からスロベニア鉄道がこの路線を運営している。
全線が電化されており、複線化工事も進められてきたものの、(ヴェルンドルフ - )国境 - マリボル間は単線となっている。
運行形態
リュブリャナとウィーンを結ぶ国際列車が当線を経由するほか、国内列車も設定されている。
- IC: ブダペスト - ジェール - ソンバトヘイ - セントゴットハールト - グラーツ - マリボル - チェリエ - ジダニ・モスト - リュブリャナ。
- EC: ウィーン - ウィーナー・ノイシュタット - ブルック(ムル)- グラーツ - シュピールフェルト=シュトラース - マリボル - プラゲルスコ - チェリエ - ラシュコ - ザグレブ/トリエステ。1日2往復。
- EN: ブラティスラバ - ウィーン - グラーツ - マリボル - チェリエ - ザグレブ - スプリット。
参考文献
- Fritz Benesch: Verkehrsbuch österreichischer Eisenbahnen. Band 6: Krain und Küstenland. Reisser, Wien 1910. オンラインテクスト(PDF)(ドイツ語)
- Josef Dultinger: Die „Erzherzog-Johann-Bahn“. Erste Eisenbahnverbindung der Reichshaupt- und Residenzstadt Wien mit der Stadt und dem Adriahafen Triest. Erhard, Rum 1985.(ドイツ語)
- Hermann Heless: Die Südbahn und ihre Vorläufer. Hrsg.: Herbert Dietrich. Bohmann-Verlag, Wien 1994, ISBN 3-7002-0871-5.(ドイツ語)
- Hermann Strach (1898) (ドイツ語). Gesshichte der Eisenbahnen Oesterreich-Ungarns von den erstan Anfängen bis zum Jahre 1867. Geschichte der Eisenbahnen der Oesterreichisch-Ungarischen Monarchie. Band 1.1. Wien / Teschen / Leipzig: Karl Prochaska. pp. 73~503. https://archive.org/details/geschichtedereis11aust/page/72/mode/2up
脚注
- ^ H. Strach (1898), Band 1.1, pp. 246~248
- ^ Herzogthum Krain. Die Geburtsfeier Seiner Majestät Franz Joseph I. (Schluß.). In: Laibacher Zeitung, Nr. 101/1849, 23. August 1849, S. 1, unten links. – Volltext online (PDF)
- ^ H. Strach (1898), Band 1.1, p. 252
- ^ Ludwig von Stockert (1920) (ドイツ語). Eisenbahnunfälle (Neue Folge). Ein weiterer Beitrag zur Eisenbahn Betriebslehre: Nr. 307. Wien: Urban