志田周子
志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。「仙境のナイチンゲール」と称された[1]。
生涯
1910年(明治43年)教員だった父荘次郎、母せいの長女として、西村山郡左沢町(現大江町)に生まれる[2]。西村山郡大井沢村(現西川町)の大井沢尋常小学校を経て、山形県立山形第一高等女学校(現山形県立山形西高等学校)に進学[1]。村で初めての女学校生と話題になる。1928年(昭和3年)東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)に進学。1933年同卒業[2]。1935年(昭和10年)「3年でいいから」という父荘次郎の懇請で、当時無医村だった大井沢村に戻り[1]、唯一の村医となる。以後20年以上にわたり無医村の地域医療に尽力しつつ、婦人会長、村会議員などを歴任した[2]。同時に結城哀草果に師事するアララギ派の歌人としても活躍した。1959年(昭和34年)保健文化賞を受賞[1]。その他医師会、県知事から数々の表彰を受賞した。
1962年(昭和37年)癌を患い死去。享年51。生涯を独身のまま地域医療に捧げた。
2015年(平成27年)、その生涯が『いしゃ先生』と題して映画化された[3]。
関連書籍
脚注
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出典
関連項目
- 高橋義夫 - 志田周子を主人公とした小説『風吹峠』を書いている。
外部リンク
- 志田周子(しだ ちかこ)僻地医療に生涯を捧げた女医
- 大井沢に輝いた志田周子の生涯
- 志田周子先生歌碑
- 地域医療に生涯ささげた女性医師 志田周子生誕100年の講演、演奏会(山形新聞)